学生から提出してもらった「出席カード」(大きい方) に書かれていた感想・質問・苦情から。
すみません、楽園追放仮説があんまりよく分からなかったのですが、現在の生活環境がEEAから大きく違うために、文明に対して適応することができず (後略)
基本的には間違えていないと思いますが、再度説明します。
孤食などによる家庭内のコミュニケーション不足から、コミュニケーションに関する発達障害が顕著になった可能性もありそう。
基本的にそれは発達障害ではないような気がするが、環境がどの程度寄与しているかは僕はよく分からない (が、環境が全く関係ないと言い切れるほどの自信もない)。
テレビなどで (ドラマの話)、同性同士のカップルがそれぞれの両親に恋人同士であることを許してもらいに行くという場面がありますが、その時に親が怒ったり、門前払いするのを見ると、子供の幸せより、遺伝を残すことに従った行動に見えて、理解のない親だと思います。
僕もそう思うけれど、自分の子どもが同性愛だとやっぱり僕も簡単には行け入れられないだろうな。最終的には子どもの判断を尊重すると思うけど、そんなに単純なものではないとも思う。
また、サブカルチャー論Bで男性同士の恋愛が好きな腐女子という存在がいることを知りました。
少なくとも、90年代にはそういうひとが身近にいたよ。
ふつうからの逸脱や、他の人が我慢できることをどうしても我慢できなかったりするのが病気と判断されることが多くなってきているなら殺人を犯してしまった人も病気だと判断される日が来るのでしょうか?
実際そういう例はあるけれど、全てではないよね。ふつうの人のふつうの判断でも殺人というのはやってしまうものと考えられているのではないだろうか。
私の祖母がアスペルガーっぽい傾向がある人で、ときどき「お小遣いあげるから遊びにおいで」と言われる。お金はいらないよ、と答えると「なんで会いに来てくれないんだ!」と怒られる。そういうつもりじゃなかったので「お金はいらないけど遊びに行くよ」というと「お金ためじゃないとするとなんのために…?」と怪しまれる。祖母はお金で全て解決すると思っているようで、それを拒否する人は受け入れられないらしい。
年寄りのくれる小遣いというのはもらってあげたほうがいいというのが僕の意見。
私は人として変わっており自分が病気なのではないかと不安になることが多いです。なので、今後はその境をはっきり定義して欲しいとこの国に求めます。
本当に変わっている人は自分が変わっているとは言わないものだ。若い人が「自分は若い」と言わないように。
私もグループワーク大嫌いなので、シラバスにグループワークと書いてあったら履修しません。笑 内容的には受けたかったのになあ、と残念です。
グループワーク滅びてほしいよね。大学生にもなってやりたくないよな。
小学生の時に発達障害の子がいたが発達障害の子が通うクラスもあったが同じ教室でみんなと同じように授業を受けていた。しかしその子は中学生に上がると普通のクラスではなくない発達障害の子が過ごすクラスに入っていた。そのことから発達障害は進行していったりするのですか?
進行するというより、親が普通のクラスより特別なクラスに行った方がこの子にはよいと判断した結果なのだと思う。難しい判断だけどね。
学校という異空間にみんなよく耐えれるなと思っていた。社会人も毎日早起きして仕事に行き残業して…そのような忙しい生活をなんの疑いもなく倒れることもなくしている人ほどふつうから外れた人間はいないと思っている。授業に社会が病気を決めるという話が出てきたが本当にその通りだと思った。マジョリティがふつうになるから鬱になったわたしはふつうではない人間になったんだなと感じた。
社会に適応できている人間をとりあえず「ふつう」と見なすが、適応できなくてふつうの社会というにもあると思うよ。