東京で開催された北大GCOE拠点「心の社会性に関する教育研究拠点」 総括シンポジウム」と山岸俊男教授・退職記念特別講演会「ヒトと人の間~進化・文化・制度」に参加してきた。
土曜日はGCOEシンポジウム (心は「なぜ」、「どのように」社会的か? 〜フロンティアとアジェンダ)。同じ社会科学なのに分野が異なると話が通じない、という話は僕の院生時代からずっと北大では批判されてきたことだが、その流れも少しずつ改善されているのだなあと (希望的に) 感じる。とはいえ、ここで論じられる「心の社会性」の「心」は一般的な心理学者が考える「心」とちょっと違うように思う。社会を形成し、そこから影響を受けるというマクロとマイクロをつなぐ「なにか」がここでは社会的な心と考えられている。そういう意味で、真社会性昆虫の社会的な行動も「心」だし、ボノボやチンパンジーの社会性も社会を構成する心として考えられている。
北大農学研究院の長谷川英祐先生のトークの中で「群淘汰」に言及していたのが個人的には興味深かった。先日集団間葛藤の論文を『社会心理学研究』に載せていただいたが、そこでは複数の集団を仮定して、集団間の利害の対立があるような状況を想定すれば社会的ジレンマは解決され、しかも、周囲の他者の行動頻度に応じて自分の戦略を決定するようなエージェントが適応的となるという話をしている (横田晋大・中西大輔 (2012). 集団間葛藤時における内集団協力と頻度依存傾向: 進化シミュレーションによる思考実験, 社会心理学研究, 27 (2), 75-82.)。まさにここで扱っているのは (新しい意味での) 群淘汰なわけで、詳しいお話を伺いたかったが、残念ながら懇親会には参加されていないようで、お話を伺う機会を得なかった。今度ゆっくりお話を伺いたいと思う。
日曜の午前中からお昼にかけては3月末で北大を定年退官されて、玉川大学脳科学研究所に移られる山岸俊男先生の退官記念講演 (「ヒトと人の間~進化・文化・制度」)。最前列の席と電源を確保して、MacBook AirでTwitter中継をした。まとめはこちら。山岸先生がご自身で精神分析学やマルクス主義を起源とする社会意識論の「最後の生き残り」と紹介していたのが興味深かった。
確かに初期の社会心理学者はもっとマクロな問題に関心があった。戦争がなぜ起こるか、差別はなぜ生じるのか、といったマクロな社会的問題に対する研究関心は初期の社会心理学者にとってとても重要であった。もちろんそれらの問題は、社会的アイデンティティ理論や社会的認知研究に受け継がれているが、そこでは個体内での情報処理の問題が重視されており、マクロとマイクロのダイナミックな連携が十分になされているとは思えない。偏見という「心」を持つ個人が引き起こす差別や集団間の葛藤という問題はよく扱われているが、マイクロな心や行動がマクロな現象をどのように生み出して行くのかといった視点はそこにはない (それに多くの社会心理学研究は特定の心が特定の行動を生み出すという、トートロジーのモデルから抜け出せていない。心が原因で行動が結果だというナイーブなモデルでよしとする研究者が多いのは本当に残念)。孤立した情報処理装置とした人間モデルが主流だ。集団研究は実際社会心理学の分野では下火のように感じるし、ここらへんはわれわれがもっとがんばらなければいけないのだろう。