廣岡秀一先生 (故人) のブログから。残念ながら先生が亡くなられた後も大学教員の意識はなかなか変わりません。
授業評価を阻む声
そんなに学生が信用できないのか? そんなに学生が信用できないほど、あなたたちには会話がないのか?
もちろん、学生の一部には信用するに値しない学生もいるかも知れない。しかし、その一部の学生を例に挙げて、自分の授業に対する多くの学生の意見を聞こうとしないその姿勢は、やはり、自己過剰防衛的姿勢としか言えないように思う。
多くの高等教育研究が示しているように、学生による授業評価は、その妥当性に関して満足できる水準にあるのだ。問題は、評価をするかしないかではなく、その評価を使って学生との会話を増やし、自分の授業をよりよいものにしていくためはどうしたらいいのかについて考えるチャンスを、如何に現実化していくかについて議論することなのだ。そういう意味では、学生による授業評価は、そのごく一部のデータにしか過ぎない。
多くの大学人に言いたい。大学教育や授業というものに対して、己の信念が大事であることは言うまでもないが、自己の授業を相対化して見る努力も必要ではないかと。さらに、時には高等教育研究誌でも読んでみるべきである。今の高等教育における問題が、決してお上からの押しつけで進められているわけはないことがわかるはずだ。