学生から提出してもらった「出席カード」(大きい方) に書かれていた感想・質問・苦情から。
この回はノートを取る時間が少し少なすぎたようだ。
講義の後半は書くことで精一杯で内容や説明に理解することに苦しんだ。
それは申し訳なかった。この日はちょっと時間が足りなかったみたいだね。ただ、スライドは必ずしも一言一句全部ノートに取る必要はないので、そこらへんはある程度の慣れが必要だと思う。
(先入観の効果について) 気を付けても無理なんですか?
偏見やステレオタイプは自動的に、無意識に影響を与えるという研究があるので難しいかもしれない。こういう問題を解決するためには、結局のところ、社会制度を変えるしかないのだと思う。教育などによって人の心を変えるのはとても難しい。
“ピグマリオン効果”、”ゴーレム効果”について先生の生徒に対する態度で現実に成績が推移する、という内容に関してですが、それは”予言の自己成就”とも関連しているのでしょうか?
まさにそのとおり。内容的には同じこと。社会学の内容と関連づけて理解できるのは賢い。
今日はビデオがなくてちょっと残念。
僕の話もおもしろいじゃん……。
人間っていうのは矛盾しすぎていて、研究なんかできないんじゃないか
そういうことは、30年くらい人間行動の研究をした御大が言う台詞! 若いのだからあきらめてはだめだ。
自分は別に黒人を差別している気はなくても黒人のほうがたちが悪いと感じてしまうのは、これも差別していると言うのでしょうか?
それはまさに偏見。統計的な情報をもとにひとりひとりの人間を判断するのを差別という。もちろん、それを解決するのは容易ではない。根本的な解決は心を変えるのではなく、統計的な差をなくすことだ。
ぜひとも、全国の先生にはピグマリオン効果をねらって授業をしてもらいたいと思いました。
「先生」も結局ふつうのひとで、ゲームのプレイヤーにすぎない。だから、生徒がいかにも「だめな様子」を見せると、「ああ、こいつはだめだな」と思ってしまう。「先生」は聖人君子ではないのだ。「先生」からよりよい教育を引き出すために生徒の側でも工夫をする必要がある。
私は実際にゴーレム効果で成績が下がったことがあります!
本当にそれは「ゴーレム効果」のせいー?
ところで白人、黒人というよび方は差別にならないですか?
そういうカテゴリーが意味をなさない社会が理想だろう。だが、実際には社会的カテゴリーとして一定の意味を持っているので、研究するときにはそのカテゴリーを使わざるを得ない。「肌の色」という物理的な分類というより、むしろ社会階層としての、社会的に作られたカテゴリーということだと思う。
逆に、成績の良い生徒は家庭の社会的経済地位 (ママ) が高いと推定されることもあるのでしょうか。
十分考えられるだろうね。
家事の分担について、先生はどう思いますか。
ほとんどの家庭では、女性がフルタイムで働いているにも関わらず家庭での家事の負担は圧倒的に女性のほうに偏る。例えば、保育園に子どもを連れて行くと、ほとんどの場合、お母さんが送り迎えをしている。僕は半分くらい送り迎えをしているが、そういう家庭はあまりないようだ。僕自身は洗濯や風呂掃除や掃除 (半分くらい?) を負担しているが、それでも多分僕の方が妻より家事をしていないだろう。それでも、ここ数十年で夫はかなり家事をするようになってきていると思う。みなさんの世代ではさらに変わるだろう。